フリースタイルリブレでダイエット

非糖尿病人が時々血糖値を測りながら、健康的な食事法(ダイエット)を目指します。

【QOL向上を目指して】妹が私に教えてくれたたくさんのこと

f:id:kazokunoegao:20230512103131j:image

今日はいつもの健康関連の記事ではなく、私個人のお話を少し書きたいと思います。私の妹についての話です。このブログを開設するきっかけは【糖質制限による体調不良】でしたが、その【糖質制限に出会うことになったきっかけ】は、妹の病の再発でした。

 

がん罹患〜仕事を続けながら治療を受ける

f:id:kazokunoegao:20230413120207j:image

妹が29歳の時、職場の検診で小さな腫瘍疑いの組織が見つかりました。受けたのは乳がん検診です。その時はまだ1センチ程度で、精密検査を受けるも、はっきりとした腫瘍とは言えない、ということで経過観察となりました。

それから定期的な検診を受けるも、独身だった妹は「半年ごとに生検を受けるのも痛いし、ずっと気になるのも精神的にしんどい。もう傷が残ってもいいから取りたい」ということになり、グレー判定だった腫瘍を取る手術を受けたのが31歳の時でした。

しかし、実際に手術を受けてみると、腫瘍は浸潤部を含めて1.4センチあり、センチネルリンパ節生検を行った結果、リンパ節転移が2つ見つかりました。

その日受けた診断において、グレーゾーンだった腫瘍は正式な悪性腫瘍となり、【グレードⅡ】となりました。

やはり乳がんだったのです。

そこから妹は抗がん剤投与を2種類、放射線治療とホルモン剤投与を行いました。

30代前半、リンパ節転移があったということから、当時の再発防止のための全メニューを受けることになりました。特にホルモン剤投与は標準治療で受ける期間よりも長く行い、トータルで7年間、再発防止の治療を行いました。念には念を入れてのことだったと思います。

仕事を続けながらの治療は大変でしたが、職場が理解ある経営者様で、勤務場所や勤務時間などにもご配慮頂け、当時はまだそこまで普及していなかった【在宅勤務】に近い状態で、治療を受けながら仕事を長く続けることが出来ました。

抗がん剤治療後は副作用から「かつら」を着用していましたが、職場近くにある別の事務所で、かつらを脱いでも仕事できるように、体調が思わしくないときは横になってもいいようにと、皆さんとは別に過ごせるようご配慮もいただけて、本当に感謝でした。

標準的には5年程度とされる治療を7年間受け、一旦これで終了しましょう、となりました。

長く辛い日々でしたが、よい主治医、友人、上司や同僚の励ましがあり、治療もそして仕事も続けることが出来たんだと思います。

その間、妹はずっと独身で来ましたので、一度は考えないようにしてきた自身の将来の事も、また再び考え始めていたのではないでしょうか。

しかし、治療で止まったその将来を取り戻すべく時間はそう長くありませんでした。一旦治療を終え、寛解となってから1年後の定期検診で、再発が認められたのです。

がん再発〜QOL向上を目指した生活を目標に

妹は先の治療を受けていた際に「もし再発しても、抗がん剤は二度とやらない」とずっと言っていました。それだけ壮絶な闘いでした。

私や母の前では、治療の痛みや苦しさ、しんどさについては、1/10ほどしか口に出していなかったのではないでしょうか。心配をかけてはいけないと、本音は言わないよう、我慢していたんだと思います。それでも時折ぽつりと「悪いけど、抗がん剤だけは絶対にやらないから」と言っていました。

しかし、寛解してから1年で再発。

思っていたよりもずっと早い再発でした。あんなに頑張った治療であったのに、がん細胞は体の中に生き残っていたのです。

もしかすると再発するかもしれない、とは思っていましたが、まさかこんなにも早く再発するとは…。あの時は今思い出しても悔しくて悔しくて、残念でなりませんでした。

しかし、私の何十倍何百倍も悔しかったのは、きっと妹の方だったと思います。

「再発しても抗がん剤はやらない」と言っていた妹でしたが、「まだ若く、体力もある。新しい薬も出てきているから。」そう言って主治医から今後の治療方針をいろいろご提案いただけたこと、本当にありがたかったです。

主治医から新しい分子標的治療薬を勧められ、妹は再びがんと闘う決心をしてくれました。

それまでも食べるものや生活様式などにも、ものすごく気を使ってきた妹でしたが、再発をきっかけにより一層気を遣うようになりました。

全ては【QOL向上を目指して】でした。

再発がんの治療は、先の再発防止の治療とは異なります。がん細胞を死滅させるためというような治療ではなく、がん細胞と共存しながら延命していく道を模索していくような、【余命】を視野に入れた治療となります。

体をいたわりながら、負担を少なくしながら、がん細胞が広がらないようにするような治療を選択していきます。

妹も治療と並行しながら、糖質やたんぱく質、脂質や塩分その他のビタミンやミネラルの摂取などに気をつけた食事や、内蔵への負担だけでなく歯の治療や整体などにも、とても気を遣うようになりました。

この再発をきっかけに、私も妹と一緒に、生化学や栄養について勉強するようになりました。独学ではありますが、いろいろな健康や食事療法について書かれた本や、看護師さんや管理栄養士さんが使う教科書などを買い読みました。

「妹と少しでも情報共有ができたら、一緒に頑張れたら」との思いからでした。

【自分が試してみて、健康状態が良くなるのであれば妹にも勧めたい】と思うようになりました。

その当時はあまりに無知で、その誤った知識から、厳しい糖質制限に傾倒してしまった、というのが、私の過去最大の過ちです。

しかし今は、厳しい糖質制限を実践した結果、深刻な体調不良を招いてしまった経験や、その後広く多くの知識を得て、ただ闇雲に厳しい糖質制限をしてはいけない、ということを皆さんにも知っていただきたく、このブログを開設しました。

糖質制限してもがんの進行は止められない

f:id:kazokunoegao:20230508174848j:image

妹のがん再発は、骨盤への骨転移が最初でした。その頃から妹もいろいろ文献を調べて、少しでもがんの進行を抑制できる可能性が有るのであれば、と糖質制限をしていたと聞いています。

当時一部の医師らが広めていた【糖質ががん細胞の餌になるから】という理論です。

しかし、骨転移から始まった転移は、背骨へも転移を始め、肝臓にも転移しました。

この頃になると【糖質制限はがん進行を止めることは出来ない】ということに私も妹も気づき、厳しい糖質制限は逆に健康を害してしまう、QOLを下げてしまうと、糖質制限を中止しました。

厳しい糖質制限を行い、ストレスを受ける方が、日常生活において負担を抱えることになり、治療に支障を来たしてしまうから、との思いでした。

糖質制限を中止してからは、妹もやめていたパンやスイーツ類を少しずつ摂るようになりました。

【好きなものは、美味しいものだけを厳選して、少量食べる】に方向転換し、QOL向上を目指すようになりました

糖質制限と平行して「ジャンクなものを食べて、胃腸環境を壊してしまったら、治療も計画通り進められなくなる」との考えがありました。

こちらは妹も私も継続して賛同し、ジャンクなものは極力避けるようにしていました。

【からだに優しい、生きるための力になるような、美味しいものだけを食べたい】と考えていました。

妹は医学関係の情報データベースを扱う会社で長年働いていましたので、国内だけでなく、海外の医療関連の論文にも広く目を通していたと思われます。

特に西洋医学においては、常に新しい情報を収集する部門で働いていました。

今振り返れば、糖質制限ががん治療に有効でないことは、早くから妹は知っていたのではないかとも思われます。

しかし、やっぱり私と同じように【自分で試してみなければわからない】との思いや【もしも少しでも有効であるならば】の藁にもすがる思いも、もしかしたらあったのかもしれません。

妹から教わったことをこれからも続けたい

f:id:kazokunoegao:20230508180405j:image

妹は昨年11月に47歳という若さで人生を終えました。あれからまもなく半年になります。

長いようで短い、あっという間の半年でした。母も私も妹の不在を少しずつ受け入れられるようになりつつありますが、それでもふと、言われようのない悲しみに襲われることがあります。

小さな頃から「姉ちゃん、姉ちゃん」と私の後ろにくっついてきていた5歳年下の可愛い妹は、もうこの世にはいません。「姉ちゃん」と呼んでくれるたったひとりの妹の声をもう聞けなくなってしまいました。

再発がんとは9年近い闘いで、妹は本当によく頑張ってくれました。絶対にやらないと言っていた抗がん剤も、最後には「家族のために少しでも長生きしたい」と心身辛い中、本当に頑張って受けてくれました。

しかし「春まで頑張って、姉ちゃんと一緒に桜を見に行きたい」という願いは、残念ながら叶いませんでした。

2年ほど前から妹は、余命は長くないと自ら察し、気丈に終活を意識した人生を送っていました。【時間は限りがあるもので、無駄にせず、大切に過ごしたい。後悔のないように、やり残したことがないように生きたい】と、本当に彼女らしい生き方でした。

最後は、余命3ヶ月と宣告されたにも関わらず、3週間で亡くなるという急逝でしたが、通夜葬儀には、延べ100名近い方が弔問に駆けつけてくださいました。多くの方が妹の生き方に共感してくださり、慕ってくださっていたのではと思っています。

妹が亡くなってから、お友達や同僚、上司の方々とお話した際に、印象に残ったのは【妹にまつわる食べ物の話が非常に多いこと】でした。

皆さんからの【妹さんがとてもこだわった品を一緒に食べました】、【手作りで頂いた、あの味が忘れられません】というようなエピソードが多かったのには、本当に驚くばかりでした。

先のがん治療を7年間、再発がんの治療を9年近く。がんが見つかる前の経過観察期間を含めると、足かけ18年もの間、妹は頑張ってくれました。

若い頃に罹患したにも関わらず長く生きられたのは、妹がこだわりを持ち続けた【QOL向上のための食生活】があったからではないかな?と思っています。

【からだに優しい、生きるための力になるような、美味しいものだけを食べたい】

この思いは、私も今後、持ち続けていきたいと思います。

頑なに厳しく課せるのではなく、長く続けれるよう、自分のペースで無理なく、家族のためにもやっていきたいと考えています。

健康や食事についての情報も、今後も常に意識して査収し、更新し続けていきたいと思います。

残された母を支えながら、妹から教わったたくさんのことを、今後も大切にしていきたいと思っています。